新春、桜舞い散る華やかな季節に、俺は出会ってしまった。
花吹雪に迷った犬に。
鮮
それはそれは美しい毛並…と言ってはいけないだろう。
何しろその犬は犬、というよりも限りなく人に近い存在だからだ。
一部を残してばっさりと切り揃えられた金の髪が暮れる前の陽と溶け合い、きらきらと光の粉を振りまく。
薄紅の嵐の中、凛とたたずむその姿はとても美しかった。
「―…って待て待て待て。」
政宗は己の目を疑った。
眼前の女との距離は数メートル、よもや見間違いが許される場ではなかろう。
彼女のすらりとした足、豊潤な胸を覆うのは薄汚れた布一枚だけだった。
「Amazing!なんつぅ格好してやがんだ…おい、女!」
女慣れした彼であってもこのような状況には初めて遭遇する。
そもそも、獣の耳や尾を持った彼女のような人間は存在そのものが稀少なのだ。お目にかかること自体、一生のうちに数回あればいい方だろう。
自分に呼びかけられた言葉を受け取り、ひく、と可愛らしい耳が動いたが、それきり何も反応を返してこない。
元来気の長い方ではない政宗は、ずんずん彼女と自分の距離を縮める。
それが酷く恐怖心を駆り立てたらしい。女はキッと相手を睨み、見据えたままじりじりと後ずさっていった。これ以上寄るんじゃない、と言わんばかりに。
「Shit.…何もしねぇよ。」
とりあえず相手を安心させるため、にこやかな笑みを浮かべてみる。
が、彼女の目には悪人が嘲笑を顔に貼り付けたようにしか見えず、それがますます彼女の警戒と怯えを強くした。とうとうフーッ、と喉の奥で唸り声をあげ始める始末だ。
「Shit.怖がんな…こっち、来いよ。」
桜の木の太い幹に縋るように、後ろに隠れるように、彼女は移動した。
とてもじゃないが近寄る事など出来ない。
そう思った瞬間だった。
「―……あ……。」
ぐら、と体が傾き、金の輝きが虚空に投げ出され、舞う。
「っおい!!」
一気に走りこんで彼女の身体を支えると、想像以上に軽かった。
軽くて、細くて。特に腰などは抱く腕に力を込めれば簡単に折れてしまいそうだ。
助けてやる義理はない。介抱してやるなんてありえない。いつもの彼ならばそのまま放って歩き去るのだろうが、今日はなぜかそんな気分になれなかった。
(…面倒なことになりやがった。)
腕の中でぐったりとしたその…犬のような人を担ぎ上げ、政宗は家路を辿った。
--*--*--*--
とりあえず、意識を失ったまま小刻みに震える女を、ベッドの上へ放り投げて大雑把に布団をかけてやる。
仕舞うのが面倒で出しっぱなしていた毛布が今になって役に立つとは思わなかった。
何枚厚い布団をかぶせてやろうとも、彼女の震えは止まらない。
ふと、思いついた。
「Ah―…人肌が1番ってか。」
そう言うと政宗は一緒になって布団にもぐりこみ、彼女を抱きしめたまま眠りに落ちた。
(…寒く、ない)
自分の身体を襲った柔らかな拘束感とぬくもりに包まれ、女は目を覚ました。
ふと隣を見やれば、見知らぬ男の顔。
己が身に纏っていた布を手でたぐりよせ、気付かれぬようにベッドをおりた。
(…殺すか。)
布の内部に仕込んであったナイフの冷たい感触をそっと指で辿り、ふと気がついた。
(この男…馬鹿じゃないのか。)
額に珠のような汗を浮かべながら、家中の布団をかきあつめたようなベッドの上で眠っている。
春も半ば、毛布までご丁寧にかけて。
(あ。)
ふと、女は自分の体にずっと纏わり付いていた悪寒が消えていることに気がついた。
薄紅のもとで一人立ち尽くし、震えをひた隠していた事実を今更思い出し、芋蔓式に目の前の男のことも思い出した。
ぺた、と己の額に手を当てると、確かにあった焼け付くような熱が失われている。
この山のような布団と、男のおかげらしい。
そう悟った女は、ナイフを布に仕込みなおし、居たたまれなさに床に座り込んだ。
助けてもらったということだ。
だが。
(長居するわけにもいくまい…。)
“捨て犬”の自分に近寄る人間は今までいくらでもいた。
それこそ、最初の飼い主の顔を思い出せない程に。
だがそれも一時の戯れだ。皆一様にこの黄金の瞳や髪に惹かれて興味本位で連れ帰るだけのこと。
元来“愛嬌”の“あ”の字もなく、まったく犬らしくない彼女に飽きるか憤慨するかして元の場所に捨てるのが常だった。
(この男も、どうせ・・・)
「う……ん?」
政宗が目覚めた気配を感じて、女は咄嗟に見を縮めてソファの影に隠れた。
穏やかな覚醒も束の間、隣に彼女がいないことが分かって目を見開く。
…と同時に布団をはねのけて飛び起きた。
「おい!?dog girl!?」
しばらく落ち着きなくうろうろと歩き回り、やっとソファの後ろにうごめく長いふさふさの尻尾を見つけた。
「おまえ…大人しく寝とかねぇと治らないだろが。」
背を向け、完全に拒絶する女の頼りない肩を掴んでこちらにひきよせようとすると、手に鮮烈な痛みが走る。
「sit!wait!噛むな!噛むな!噛むなってば…ッ!」
齧り付いたまま離れない彼女の歯が手に食い込む。
その痛さに政宗は思わず相手を殴るかなにかして遠ざけようとしたが、女の目が薄っすら潤んでいるのを見て取り、手から力を抜いた。
対する彼女は、いきなり抵抗をやめた相手を不審に思い、
更に歯に力をこめた。
「だっ!痛ぇよっ!」
ちゃんと痛覚はあるらしい。だが一向に手を振り払うなどの拒否を示さないのを見て取り、女はそっと口を離した。
「なぜ、怒らない…?」
くっきりと歯型のついた手の痛みを紛らわすように振りながら、政宗は彼女に言い放った。
「あぁ?怒らせてぇならそんな顔すんじゃねぇよ。」
え、と小さく呟き、一度まばたく。と、両目から溢れた雫が頬を伝って零れた。
泣いて、いる。
それを見て取って、政宗は自分の頭をがしがしとかいてから女を抱きしめた。
「Shit.…ここはペット禁止だからな…大声で吠えるんじゃねぇぞ。」
言われた言葉の意味が分からず、彼女はただただまばたきを繰り返した。
その度に頬に新しく出来る筋を疎ましく、愛しく思ったのは、果たしてどちらか。