もういっそ、溺れてしまえばいい。
俺も、アンタも。
この冷たい紺碧の中で、二人一緒に、溶けてしまいたい。
それか
アンタが人魚になって、差し込む光に当てられて
泡になって、消えてしまえばいい。
ついでにこの想いも
泡になって、消えてしまえばいい。
星 の 契 り
「ぷはあっ。あー、しょっぺっ」
「・・・・・・。」
水面に浮き上がって、ラビは海と見事な程に真逆な色の髪を、額から掻きあげた。
対するミランダは、大量に飲んでしまった塩水を胃に感じながら、ただただ申し訳無さそうにラビを見つめる。
いつも以上に青白い肌と青紫の唇が、寒さのせいか小刻みに震えて。
見ているこちらが耐えられない。
「あ、の、さ。なんで夜の海なんか見ようとしたん。ミランダのことなんだから、落ちるに決まってんだろ。一日のうちに2回も素潜りさせんで。」
心配が一応の安堵にとって代わり、ラビの語調は意図せず強くなる。いたわりの言葉をかけるべきなのかとどこかで思いつつも、子供じみた感情が先に出る。
こと、彼女に関しては。
「ごめんなさい…わ、わたし…水面に月と星空が反射してて、もっとよく見ようって…」
尻すぼみに消えてゆく言葉は、ラビの神経を逆撫でした。
千切れた言葉の先が、気になって。
「いっつもいっつも。言いたいこととか、最後まで言えよ!アンタ知らないだろうけどな、俺は死ぬほど心配したんだぞ!…っ昼間も…今…も…。」
びくっとミランダの体が震える。
ラビがしまったと思ったときにはもう遅かった。
ぼろぼろと零れ落ちる涙に、息を呑む。
「…ごめ、なさい…。」
だからどうして
「謝るなよ。どして?ミランダはちっとも、俺に教えてくれないんさ。」
決して、心の切れ端をも握らせてくれない。
それがどんなに残酷なことだか、分かってる?
ため息をついて、ラビは船上へと上がるためにイノセンスを発動しようとした。
眩い光と共に、徐々に槌が大きく伸びてゆく。
「だめっ!!」
金槌くらいの大きさになったところで、不意にミランダがラビにしがみついた。
脇の下に手を入れて、背中から縋るようにして抱きしめられたら。
もう、どんな我侭だって聞けてしまう。
単純な思考の自分にほとほと呆れて、ラビは発動を止めた。
ミランダを自分から引き剥がし、顔を正面から見つめてやると、案の定彼女はグスグスと泣き始めた。
とても年上とは思えないか細い体と頼りない心を前にして、ラビは黙り込む。
一応百戦錬磨と胸をはれる程度には恋をしてきた彼だったが、このパターンは例が無い。
たといブックマンだって、対処しきれないだろう。
「ミランダ、アンタほんと…訳分かんねぇ…。」
「ごめんなさい…。」
こんなにもか弱い女性さえも、神は戦場に送りたもうたのだ。
その事実が憎らしくて仕方が無い。
それが真実神の意思だとすれば、尚更腹立たしい。
リナリ―を見ても全く考えなかったことをふつふつと煮詰めてしまい、ラビははっとした。
――…何で俺…こんなにミランダのこと気にかけてるんさ?
数秒の思考は、困惑の元凶によって断たれた。
「ラビくんっ!見てちょうだい、ほら!」
幼い子供のように無邪気に、先ほどまでべそをかいていたことなどまるで感じさせない笑顔でミランダが空を指差す。
ふっと見上げると、見事な星空が夜一面に広がっていた。
人は星屑と表現するのだろうか、この、散りばめられた眩い輝きを。
「ラビ、くん…?」
「ん?あ、ああ!すごくきれいさ〜」
もともとうさんくさい口調が焦りでより一層本心のこもっていない物になったのだろう。
ミランダの目が僅かに哀しみで彩られた。
「ごめんなさい、やっぱり、怒ってるわよね。普通のことしてても粗忽なのに、こんなこと…海に落ちるのも、怒られるのも、ラビくんに嫌われるのも、みんなみんな当然なんだわ。」
ラビが、え、と間の抜けた声を発した。
確かにミランダは不注意のレベルですまされないほど素晴らしくあらゆることに失敗する。
そして今回、星を見たいからなどとラビに言わせれば馬鹿げた理由で海に落ち、ラビを死ぬほど心配させたうえ怒らせたのは正しい。
そう、ここまでは自分のことを語っているにしては驚くほど正しいのだ。
唯一つ。
――俺が、ミランダを嫌う?
最後の言葉が嫌に引っ掛かる。
海に転落しただけで死ぬほど心配した相手のことを、果たして嫌っているといえるのか。
というかむしろこれは。
――嫌いの――反対?
「え、うそぉっ!?」
思わず大声で叫び、ミランダにじっと見つめられる。
彼女はまだ何も気がついていないだろうが、それでもこの早鐘を打つ心臓の音が漏れていないか気になって仕方が無い。
「あ、あの…ラビくん?」
「何でもないさ!驚かせてご免な?」
くしゃくしゃとミランダの頭を撫で回し、ラビはからからと笑う。
上手く笑えているかどうか内心ひやひやしながら。
兎にも角にも、もう一度じっくり考えてみたい。
そう考えたラビはミランダに船にあがるよう説得しようとした。
しかし、彼女の表情を見て絶句する。
「…ごめんなさい。ラビくんが謝ることなんてないんだわ。わ、私がドジでのろまなばっかりに…嫌われたって、も、文句も言えない身分なのに…。」
しゃくりあげながら、途切れ途切れに言葉を発するミランダに、ラビは口をぽかんと開けた。
――どうしてそこまでマイナスに考えられるんさ・・・。
誤解を解くためなのか、はたまた自分がそうしたっただけなのか。
その辺りは全く定かではないが、ラビは自分に背を向けてしまったミランダを、後ろからぎゅっと抱きしめた。
心臓が痛いほど打ち鳴らされても、気にしない風を装って。
「怒ってる。」
びくりと震えた彼女の肩を離さないまま、ラビが続ける。
「けど、嫌ってない。」
え、と戸惑う声を聞かずに、もう一度繰り返した。
「嫌えるはず、ない。」
――おどけた口調も使えないほどに。
アンタを思ってしまっていることは確実なんだ。
押し付けた体から伝わる熱から意識を逸らすために見上げた空にはやはり、瞬く幾ばくの輝きがあった。
天高く上りつめた月の冷たい光に勝るとも劣らぬ強さで、彼らは意思を伝えるように光を放つ。
そう、今の彼のように。
もう隠しようの無いこの思いはせめて
固く解けることのない決意に変えよう。
さあ幾億の輝きよ。大切な彼女のために今契りを結ぼう?
星の、契りを。
不意にくだされた口付けに、彼女はただただ水面を見つめた。
映りこんだ瞬く光を。